【すべての行動は、無意識によって行われる?】
我々は、無意識によって動いていて、意識はそれを記憶するだけの装置に過ぎない、という話。
以前の記事に続き、また、慶応大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の前野隆司教授のyoutubeにアップされている講義から。
詳しくは動画をm(_ _)m
要約
【意識受動仮説】
意識は言ってみれば幻想に過ぎない。
我々は無意識によって行動している。
意識は無意識による行動を記憶する装置に過ぎない。(エピソード記憶をするために存在している。体験して記憶するというより、記憶するために体験する。)
要約し過ぎかも(笑)90分ある動画です。
個人的には非常にしっくりくる内容でした。
学生時代からお金はないが時間があったため、一人でひたすら思考、妄想している時期がありました。
法学部でしたので、特に哲学や心理学や脳科学やそんな講義は受けていないんですが…
そして、私が20代前半の頃にいったん行き着いた自分なりの結論がありました。
その結論は、ある意味投げやりなイメージを持たれるかも…
感情に勝てるわけないじゃん!
考えるだけ無駄(笑)
という…
なんかその時は思ってたわけです。
結局のところ、行動基準や判断基準は、「快・深い」「好き・嫌い」他、「嬉しい」「ムカつく」とかそういう感情や感覚、直感によるだけ。
理屈的な「◯◯だから好き」とか、「◯◯だからムカつく」とか、全部後付けだよなぁ、と思ったわけです。
意識受動仮説では、我々の言動は、すべて無意識が行っている、と言います。
私がこれを書いていることさえも。
意識は、無意識により行われた体験を、あたかも体験したかのように記憶するためにあると。
(ズレてるかもしれないので動画で確認を…)
「意識受動仮説」自体は先の動画や、前野教授の書籍でご確認を。
(日常に当てはめるとすごく納得することがたくさんあるのですが、長くなってしまうので、今回は省略)
で、この考え方を応用してみると。(前野教授の考えではないですが)
やっぱりまた、後日(笑)