働きすぎで命を絶ってしまう世の中に。
電通の女性社員が過労を主な原因として自殺したという事件があった。
最高裁は会社側の責任を認め、労災認定をした。
この女性のご冥福をお祈りします。
この件について、
下記の記事がありました。
「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」は、おかしい。
「会社を辞めればよかった」は、空しい見解だ。
とする記事著者の意見には同感です。
また、同様に思われる方も少なくはないのではないか、と思います。
しかし、
問題の本質は会社側にある~悲劇を繰り返さないために~
という論点に関しては、私としては違和感を感じます。
念のため、会社側の責任だと思いますし、会社を擁護するつもりもありません。
「問題の本質は」というところが疑問なのです。
「問題の本質」は、もっと根底に、そして広くあるのではないかと思うのです。
いくら会社のシステムが改善されようが、働くのは人間です。
会社の風土が、と言っても、風土や環境を強制的に変えるのは困難だと思います。
強制的に風土を変えるということは価値観の変化ではなく、またまた決められれたルールに従うことになりかねません。
それが進んでいくと、本質ではなく、「ルール」という形式を重視した働き方になります。
その会社に関わる人、はもちろん、社会全体の風潮や価値観まで変わらないと、あるいは異なる価値観を認める、受け入れるようにならないと、なにも改善されないと思うのです。
問題の本質は社会にある
というと、ことが大きくて、抽象的だと思われるかもしれません。
が、社会、とは、私をも含む我々です。
つまり
問題の本質は、我々にある
と言い換えることができると思います。
もちろん、ひとりの力なんて知れてます。
今すぐ、私が、あるいはあなたが、何か世の中を変えるのは、
現実的には、無理だと思います。
しかし、せめて自分の関わりのある人だけであっても。
相手を気遣い、いろんな可能性があることを語らい、話を聞き、コミュニケーションが取れたとしたら。
そういうことを、それぞれみんなができるようになれば、
ひとりの影響力は小さいとしても。
世の中は変わると思うのです。
それは家庭での、あるいは学校での、あるいは地域や、あるコミュニティでの教育なのかもしれません。
追伸
高度経済成長期などは、おそらくやればやるだけ成果につながりました。
まさしく気合いと根性があればなんとかなったでしょうし
働けば働くほど自分だけでなく、家族も豊かになり、日本全体も豊かになり、
結果が見えて、疲労や苦痛よりも、それを乗り越えた後の喜びを重視できたのだと思います。
しかし、現在はすでに世界的に見れば裕福になった日本。
そして、ただでさえ成長率が悪くなるのに(既にある程度発展しているから)、
不況であったりして、やればやるだけの成果が得られない状態になる。
加えて、インターネットというとてつもない仕組みが普及しています。
もう遅いぐらいかもしれませんが、否応無しにでも
それぞれの生き方、働き方に対する考え方がガラッと変わる時代にきているとも思います。